おばあちゃんは、やっぱり最後までせっかちだった。
深夜1時半に、姉からの電話。
「おばあちゃんやばそうだからこっち帰ってきて。」
5、6年前に心臓の血管がボロボロになっていたということが発覚したおばあちゃん。
先週コロナに罹患して、その後やや回復。
昨日の午前中に退院したと聞いていて、金曜日の仕事帰りに会いに行こうと思っていた。
家からおばあちゃんの家までいつもなら車で50分。
雨が降っていたのと、焦る気持ちで運転したせいで道を間違えたけど、飛ばしまくって35分で運ばれた病院に到着。
それでもおばあちゃんの心臓はもう止まっていた。
電話では自分の言いたいことを言ったら相手の話を聞かずに切ってしまう人だったけど、そのスタンスは呼吸を止める最後の最後まで変わらなかったらしい。
死に際に間に合わなかったという悲しい気持ちよりも、おばあちゃんらしいな…という気持ちが強すぎて、病室に入って出た一言目が「さすがばーちゃん。でもちょっとせっかちすぎるんじゃない?」だった。笑
ばーちゃん。あなたの1番めんこちゃんだった孫が来たよ。
もうじーちゃんに会えたかな。
もう忘れているかもしれないけど。
おばあちゃんに1つだけ謝りたかったことがある。
でもなんかのミラクルがあってまた会えたとしてもきっと言わないことでもある。
両親ががっつり共働きだったこともあって、毎日おばあちゃんの家で夜ご飯を食べていた小学生時代。
いとこの家で夕飯に誘われたことをおばあちゃんに伝えると、「ダメ。もう用意してるんだからこっちで食べなさい。」の一言。
なんとかいとこの家で夕飯を食べたい一心で、「毎日おばあちゃんのごはんばっかり食べたくない」と言ってしまった小学3年生の私。
いまだにあの時のおばあちゃんの電話越しの声の震えと、頭に浮かぶ悲しそうな顔が忘れられません。
あれは勢いで言って後悔していることランキングの生涯1位を飾り続けています。
本当にごめん。でも一番好きな食べ物はおばあちゃんの煮物と梅干し、と言い続けてきた29年間は嘘じゃないからね。
もう伝えることはできないけど。伝われ。(念)
弔いのシソジュース
おばあちゃんの葬儀まであと2日。
誰かが亡くなった時、私は絶対に人前では泣かないと決めている。
特に理由はないけど、自分はしっかりせねば。凛としていなければ。という気持ちがあるからだ。
それでも寂しいことは寂しい。ちゃんと悲しい。
だからこそおばあちゃんから教わったシソジュースを夜な夜な作りながら、思い出に浸る時間を作ってみた。
おばあちゃんとの29年間を思い出しながら。
来年からも、ちゃんと作るね。
毎日いろいろとやりすぎて、おばあちゃんとのことを忘れちゃう日も正直たくさんあると思うけど、シソジュースを作る時だけは思い出話をしよう。
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