27歳の私とねこと

27歳女子。ありのままに楽しく生きる。

SNSでキラキラしてる人の中で、本当に幸せな人なんているのかな説

 

SNSを見るとキラキラした人がいっぱいいて、今を生きるのに必死でもがいている自分がちっぽけに見える瞬間がある。

 

そういう人は、たぶんいっぱいいる。

私もそうだし、きっと幸せそうな結婚生活とか彼氏との日常とか友達との飲み会を投稿しているあの子もきっとそう。

 

でもね、そうだなぁ。私たちが本当に欲しいのって

SNSに載せられないぐらいダサくても大丈夫な日常だよね。

 

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ダサいけど大丈夫。ほど頑丈な幸せはない。

人は寂しい時こそInstagramでストーリーをたくさん上げるし、twitterでたくさん呟く。

 

誰かの日常の片隅に、自分が少しでも登場して存在を思い出してくれたら、と思う。

誰も反応してくれないと、もっと寂しくなってまた更新する。

そういう人がたくさんいるし、私もそんな時期があった。というより定期的にくる(゜_゜)どうにかしてくれ

 

 

昔、仲良しだった友人のSNSをたまたま見る機会があった。

前はネイルの写真、友達との飲み会の写真、今をトキメク20代の写真ばかりの彼女だった。

だけど今は全く更新されていない期間の後に、加工もしていなければハッシュタグもついていない、控えめに言って大してキラキラしていない普通の写真ばかりになっていた。

 

直感的に思った。

あぁ、幸せになったんだな。と。

 

昔は何回も写真を撮り直して、そこからまた厳選してSNSにアップしていた彼女は、キラキラの写真を載せて誰かに自慢する必要も、それで誰かに羨ましがられたいという気持ちもなくなって、ダサいけどそれで全然大丈夫な日常を手に入れたらしい。

 

羨ましくて私には眩しく見えたんだけど、本当の幸せってこういうことだよな。

 

 

それでも自分が生きている場所以外で、別の顔を演じられる「居場所」が人生には必要

それは逃げ場とも言われてしまうかもしれない。

けどそんなことはない(と信じている)(゜_゜)

 

 

最近ブログを始めてから思うことがあって、

 

誰かのブログを読んでいる時、どこの誰かも分からないその人と、その瞬間だけ心の距離が近くなって、人生が近くなったような瞬間がある。

そしてまたバラバラの世界に戻っていく。

 

ブログとかSNSに関わらず、生きている場所以外の「居場所」は人生には必要です。

だって人は誰かと心が通う瞬間が多い方が絶対に幸せになれる。

写真だけで、綴る文章だけで、人って心は少しだけ近づくことができる。

 

 

キラキラしたかっこいい文章は書けないけど、わたしは今日も誰かとちょびっとだけ心が近づけばいいと思ってブログを書く。

 

ダサい文章でも大丈夫になれるように、今日もまとまりのない言葉を綴ります。

 

 

みんな、幸せになろうね(゜-゜)